主体性と客体性

最近、『静かな退職』と言う言葉を聞いた。『プライベート』と『仕事』を更に明確化し、仕事時間や日数を少なくし、期待される以上の成果を目指さない仕事の仕方をする考え方だ。私がこの話を聞いた時、「どこかで聞いたぞ」と、日本が経済的に衰退し始めた時の事を思い出した。日本は、高度経済成長で日に日に豊かになり、明治、大正、戦前生まれの人達が必死になってこの日本を支え、豊かさをもたらした。しかし、1985年のプラザ合意を皮切りに円高誘導され、経済の主導権も完全にアメリカに移行した。

バブル崩壊後、日本の企業は中国を目指し、日本の職人と雇用は失われ、農業離れも進み、食料自給率も転げるように低下して行った。日本を強くしていた「日本人の意識」は、外国からの間接的な干渉によりメディアにより扇動され、弱体化へと向かって行った。その時、使われていた言葉が『過労死』『スローライフ』『ブラック企業』『残業無しで、定時で帰る』『プライベートと仕事を区別せよ』『仕事はプライベートを充実する為に』『1番じゃなく、2番で良い』『給料は少なくても、休みが充実』等の人間の『楽をしたい心理』を利用した人を堕落させる言葉だ。加えて、現在の日本では、3S政策は更に進み、人々は客体的に、『考えること自体』を放棄してきている。

一方、当時のアメリカでは、メディアや映画を利用して、『私たちアメリカ人も日本人のように働けば、豊かになれる』の様なアメリカ人を鼓舞し、働かせる為の心理誘導が繰り返された。代表的な映画がマイケル・キートン主演の『ガンホー』だ。その後、アメリカと日本の労働時間は逆転し、現在は経済に於いて、アメリカが完全に主役となった。アメリカは、日本や中国の食文化を研究し、癌が増え続ける日本とは対照的に癌の罹患率が激減している。現在では、日本人の労働時間は、労働時間が少ないと言われているイタリアやスペインよりも少ないと言われている。この様に、大衆は扇動される。

​今回の『静かなる退職』も同様の臭いがする。朝三暮四の猿の様に、『表面的な利益』や『楽さ』に目を奪われると、本質が見えなくなり、現在、30年前と比べ日本が貧しくなってしまった様に、更に20年~30年後私達は、『何も所有しない豊かさ』と言う幻想の真っ只中に居るかも知れない。知らない内に誰かにコントロールされ、意思無くイメージに扇動され客体的な人生を送るか、それとも知恵と共に、周りの知恵ある人々と協力し主体的に人生を切り開いて行くか、全ては私達自身の選択の中に在る。だからこそ、知識だけの習得に終始する事無く、思考力を鍛え上げ人生をしっかりと見据え、今現在を全力で生きて行く必要があるのではないだろうか。『まんてん』では、手抜きの人生ではなく、自分の頭で考え、当たり前にプラスアルファの努力のできる人材を育てる事が『教育の意義』であると考える。


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